興味深い歴史 その10
満州に大きな支配力をもつとともに、さきの対華二十一ヵ条の要求で、露骨に中国侵略の意図をみせた日本にたいしては、民族運動の鋒先がもっとも強く向けられるのは当然のことでした。
こうした情勢にたいして、若槻内閣の幣原外相は、不干渉・協調主義の外交路線をとり、むしろ、中国の民族的要求をいれ、新政権と協調しながら日本にとって有利な条件をつくりだそうという方針をとった。
しかし、これにたいしては、関東軍をはじめとする軍部も、右翼も、そして貴族院や枢府の反動勢力も、これを「軟弱外交」として大いに攻撃していました。