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2010年12月 アーカイブ

小話です(´ω`)

何となく音信が途絶え、数年間、会わずにいたクリスティーヌに再会したのは、パリのとある展覧会場だった。


大袈裟なデスクトップ仮想化で話に夢中になっている金髪の後ろ姿は、紛れもなく彼女だった。


「変わっていないな」と、その横顔を見やり、声をかけようかどうか、しばし躊躇した。


ここで声をかけなかったら、もしかしたらこの大都会でもう二度と会う機会もないかもしれません。


私には私の、彼女には彼女の毎日の生活があって、それは数年前から、交わる必然性のない別々の平行線をたどっていました。


ここで私が声をかけようがかけまいが、大勢に影響はないようなものだったが、やはり懐かしさが先に立った。


私の方から足早に近づいていって彼女の名を背後から呼びました。


勢いよく振り返ったクリスティーヌに気まずい思いをさせては気の毒、と先手を打って自分の名を告げた。


一時は頻繁に交流のあった相手だが、気まぐれな彼女のこと、私のことなどころりと忘れていないとも限らないと思ったからだ。


果たして一瞬の沈黙の後、記憶を一気に取り戻したかのような「まあ、懐かしい」という声と共に大きな抱擁がやってきました。


「ジャーナリストの仕事、相変わらず続けている?」


「それにしても・・・何年ぶりかしらねえ。え、何ですって?そお、結婚したの。えっ、赤ちゃんも生まれたの。まあ、あなたがお母さん。すごいわすごいわ。やったわね」

興味深い歴史 その7

翌四年(一九二九)春の第五十六議会には、治安維持法改正案の事後承認がかかりましたが、このときただ一人勇敢に反対した山本宣治は、三月五日夜、警官あがりの右翼テロリスト黒田保久二の兇刃に弊れた。

その背後には警察の黒い手が動いていたといわれます。

そして、その一月あまりのちの四月十六日には、再度八百余名にわたる社会主義者の大検挙が実施された。

それはこの内閣の瓦解の二月余りまえのことです。

こうみてくれば、この内閣が社会主義運動の弾圧に、いかに大きな力をふるったかがおよそわかるでしょう。

興味深い歴史 その8

もちろんその背後には、あとでふれるように社会主義勢力の急激な拾頭があったのですが、それにたいして仮借のない弾圧を、しかも多分にテロリズムの性格をもった弾圧をくわえ、また学問や思想にたいしても、はばかるところなくこれを禁圧していくことが、この内閣の基本的な方針でした。

それは同じくブルジョア政党の内閣とはいいながら、憲政会11民政党(憲政会は二年六月、政友本党と合して民政党となった)のそれにくらべて、はるかに露骨な反動性をもっていました。

こうして、内政面でみても田中内閣は、インフレ政策と反動的弾圧とを武器とした多分にファッショ的性格をもった内閣でした。

また、あとでみるように、この内閣には汚れた選挙、うす暗い政治的取引、汚職や買収、権謀術数など、日本の政党政治の腐敗した面がとくに色濃くまっわりついている。

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